大原幽学ってどんな人?
大原幽学は千葉県を代表する偉人の一人です
先日 千葉県旭市にある大原幽学記念館に行ってきたので
大原幽学について書こうと思います
大原幽学は寛政9年(1797年)3月17日生まれ 尾張藩大道寺家の出だといわれています
18歳の時 人を殺してしまったことから生家を勘当され 漂泊の生活を始めました
道場破りなどをして暮らしていたのですが
途中から武士の生き方に疑問を持ち 日本各地を歩き 儒学 仏教 神道 などを勉強しました
近江国(現滋賀県)伊吹山松尾寺の提宗和尚から学びを受け
二度目に提宗和尚にあった時 和尚から学問を人に教えるように言われて
教えを人に説くようになったといわれています
信州上田あたりから教えを説き始め その後 安房国(現千葉県)に行きました
そこで 遠藤伊兵衛 と出会い 長部村に行きました
大原幽学は長部村で教えを説き 村は立ち直っていきました
その教えとは
日頃の道徳や暮らし方 農業技術の指導
そして世界初の農業協同組合ともいえる先祖株組合の結成でした
長部村は領主から模範村として表彰され
大原幽学の門人も増え 大原幽学は村の高台にある改心楼で教えるようになりました
ところがその改心楼が幕府に怪しいと目をつけられてしまします
やくざ者が数人改心楼にやってきて酔って暴れて怪我をして
それをきっかけに大原幽学は江戸で取り調べられることになりました
6年の取り調べの末 100日間の押し込め の判決が言い渡されました
自由になった幽学が長部村に戻った時には先祖株組合は解散され改心楼も壊されていました
安政5年(1858年)3月8日未明 大原幽学は長部村の墓地で切腹して亡くなりました 大原幽学62歳でした
以上が大原幽学の生涯です
大原幽学は「その一人を慎む」のような言葉を残しており 私も勉強になりました
読んでいただき有難うございました